クリスチャンってなに?1

 

しばらく更新していなかったのですが、久しぶりに書いてみようと思います。

 

というのも…

 

夏休みに入ったのでようやく時間的にも気持ち的にも余裕ができました!!

 

1年と少しクリスチャンとして生活してきた中で、たくさんの時間をイエス様と過ごしてきて私なりにクリスチャンって何なのかを考えてみたいなぁと思います。

 

私なりの解釈なのでもちろん正解じゃないし、私の人生かけても大好きな神様はすごすぎて全部は分からないんです。

 

でも、神様が私という本当に平凡な日本人にどうやって働きかけてくれたのかを通して神様のすごさをお話しできたらなぁなんて思います。

 

エス様に出会った頃の私は、唯一得意だった英語を綺麗な発音でまるでネイティブの人のように話せるようになって、日本に帰ったらみんなからすごいって言われたいっていう(今思えばめちゃくちゃ恥ずかしい)動機で留学してました。

 

不器用とか空回りって言葉が私の特徴を表すのにぴったりなくらい、何をやってもどれもできなくていつも周りの子と自分を比べてひたすらネガティブだった私を変えたかったんです。

 

そんなへんてこな動機で留学行った私が出会ったのは、聖書でした。

 

最初は興味ない素振りをしてたけど、教会で流れる賛美が好きでした。

 

自分の部屋でHillsong worshipとかYouTubeで調べて流してたくらい(笑)

 

それからしばらくして解説がいっぱい載ってる聖書をもらって、聖書を読むようになって、聖書の勉強とかも友達とするようになりました。

 

英語でやる聖書の勉強会は正直何やったか全然覚えてないけど、とにかく雰囲気が好きでした。

 

知らない土地で慣れない激寒の気候で、日本人も他の国から来た周りのクラスメイトもそんな知らない子だらけで、心が折れそうな日もあったけど教会に行く日とかクリスチャンの友達に会える日はいつも心がわくわくしてました。

 

言葉だって通じてないときもあったけど、でも、それ以上にどこかあたたかくてやさしい雰囲気が好きでした。

 

それなのに、いきなり私は神様が喜ばれないことを片っ端からし始めました。

 

 

 

え、なんで?

 

って思いました?

 

私もなんでこんなぶっ飛んだことをしたのか分かりません。

 

でも、神様が本当にいるのか確信がなかったんです。

 

そして、クリスチャンの友達はみんな優しかったけど、聖書に反することしたら私のこと嫌になるでしょっていうまぁまぁ性格悪いことを当時は思ってた気がします。

 

なかなかやばい奴です。

 

でも、神様が人間にこれしちゃだめだよ、よくないよって聖書で言っているのは、神様が人間をコントロールしたいからとかじゃなくて、

それをすると人間の心がすごく傷ついてしまうからなんです。

 

実際、思い当たるところから神様に反抗してるとだんだん状況とか人間関係とか少しずつでも確実に悪くなっちゃったんです。

 

でも、神様は自発的に神様に反抗していた私にでさえ、愛を与えてくれました。

 

こんな私に神様が与えてくれた愛の方法は2つでした。

 

1つは聖書の御言葉。

聖書の御言葉は私の傷ついた心にすっと入ってきて、悲しいとかそんな気持ちでいっぱいだったのを自然と笑顔になれるような温かい思いでいっぱいになりました。

 

そして、2つ目はクリスチャンの友達を通してでした。

 

嫌われる覚悟でクリスチャンの友達に自分がしたこと全部話したとき、怒るわけでもなく、ぎゅって抱きしめてくれました。

話してくれてありがとうって、どうしようもない私を突き放さずに受け入れてくれました。

 

このとき私の人生どう生きるべきか決めました。

 

自分の周りの人が過去や今、どんな人であっても愛すこと。

それを教えてくれたイエス様の愛を信じて、生きていくことを決めました。

 

私にとって、クリスチャンとして生きていくことはそういうことでした。

 

エス様の言葉をここで引用すると、

エスはお答えになりました。

「『心を尽くし、たましいを尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが第一で、最も重要な戒めです。

第二も同じように重要で、『自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい』という戒めです。

 

これは聖書のマタイの福音書22章37節から39節という箇所に書かれている言葉です。

 

エス様を愛すことだって、自分の周りの人を愛することだって、自分を愛することだって簡単じゃなくて、

 

何度もイエス様の愛から離れてしまって、何度も転んですり傷ができるときもあるけど、そのたびに何度も見放さずに手を差し伸べてくれるイエス様がいます。

 

何度も転んでしまう私は弱くて、もろいけど、それでも良いんだよってイエス様が教えてくれるから良いんです。

 

私たちは強くなくても、イエス様の強さを学べてもっとイエス様と距離が近くなるから良いんです。

 

 

この世界では、どんどん状況が悪くなる世の中でどう生き残るのかを学ぶ機会がたくさんあります。

 

でも、イエス様は私たちに弱くても良いことを教えてくれてます。

 

その代わりにイエス様に頼ることを教えてくれてます。

 

神様も周りの人も自分も愛することを学んでいく中で向き合う自分の弱さもまるっと包み込んでくれるイエス様を頼りながら見上げながら生きていくこと。

 

これが今の私のクリスチャンとして生きていく中での1つの答えです。

 

簡単なことじゃないけど、でもこのことに人生をかけることは決してひとときも無駄じゃないことを学んでます。

 

 

なんか文章たくさんになってしまったんですけど、ここまでよんでくださっていたら嬉しいです。

 

少しでも読んでくださった方1人1人に神様の愛が伝わりますようにっ!

 

では、またいつか更新します~:)