2022年
お久しぶりです。
クリスチャンで大学生のかれんです。
大学生でいれるのもあと1ヶ月くらいで、自分のこのブログ冒頭で毎回のように、大学生であることを主張してきたのにそれもあとすこしで終わりなのかぁ…とふと思いました。
それで、現在こうして見切り発車で書いています。
テーマは、大学の4年間についてなのですが、まだ内容に入ってないのに思い返すだけで涙が出てきそうですね…笑
そもそも、私のクリスチャンとしてのスタートを切ったのは、アメリカ留学中の大学一年生の冬でした。
1月21日の深夜に、その前日から参加していたクリスチャンの冬のリトリート(お泊まり会的なやつ)で夜のお祈りの時間も終わりかけに向かっていた時でした。
その時、一番私の面倒を見てくれてた一つ上のクリスチャン(でめちゃくちゃイケイケ)お姉さんに「最近どう?」って聞かれてから、
数分後にクリスチャンになっていました。
その当時、アメリカ留学に行ってから4ヶ月ほど経って、アメリカという異国の地には慣れたんだけども、物事が上手いこといかなくて辛かったのを今ではなんとなく覚えています。
もちろん、その一つ年上のお姉さんに聞かれた時は、はっきりと覚えていたのでそのことについて話しました。
割と、落ち込みやすいクセにその出来事過ぎたら忘れてしまう都合のいい脳みそを私は持っているので今はほとんど覚えてません。笑
留学始まってからすぐにそのクリスチャンの姉ちゃんと出会い、聖書のことを教えてもらったり、教会に連れてってくれたりしてくれて、最初は英語だし、内容も日本語で言われても分からんわな状態でした。
でも、私でも理解できるように簡単な言葉で説明してくれたこと、
私が話す拙い英語を最後まで聞いてくれたこと、
親元離れて暮らしている私に自分の家族を紹介してくれて、その子のお母さんからお母さんって呼んでねって言ってくれたこと、
そういう一つ一つの優しさが私には嬉しくて、尊敬しているところでした。
母国の日本にいても自分のことで一杯一杯で自分のことばかり考えて生きていた自分と、
人のことも考えて、優しく接するクリスチャンの姿に人としての強さを持っている彼らの姿。
すごくその芯のある、強さを持った優しさを持ったクリスチャンになってみたい。
そんなイマイチよくわかってないまま私はクリスチャンとしての一歩を踏み出しました。
そのあと、日本に帰国し、日本の教会で聖書について理解をさらに深めていくのですが、
聖書について、神様について学べば学ぶほど自分はいかに無力で弱くて、脆いかを知っていきました。
今よりもっとプライド高くて、完璧主義だった私は、その真実を目の前で突きつけられるたびに、聖書の言葉が嫌になる時期もありました。
でも、そうして背を向けていると就活、学業、アルバイト、人間関係など自分の状況がうまく回らなくなって余計に「しんどい」と感じて、全部やめて家に引きこもったこともありました。(そんな時もあったなぁ)
でも、それでよかったんです。
人生の歯車が回らなくなって、本当に自分は無力で弱くて、脆いかを否定せずに認めたときに、聖書の福音が身と心に行き渡って、息づくようになりました。(それまでに1年以上)
自分(能力や持っているものなど内側の力)、に頼らずに神様(自分とは異なる自分以上の存在=外側からの力)に頼って生きること。
肩の力を抜いて、生きてみると周りが見えることもありました。
私がアメリカで出会った彼女たちのように人に優しくできているかは、自分では分かりませんが(どれだけ優しいとか比べるものでもないから分からなくていいし)、
自分の周りのことを全部自分で背負い込まないで神様に任してみること。
そうすると、周りのことに気を配れるようになれたりします:)
それでも、自分のことで一杯一杯な時も全然あるけど!!
そんな風に考え方が変わると、今まで見えなかったことが見えてきたりしました。
卒業を目前にして、初めて母に心から感謝を感じるようになりました。
幼い頃から、英語が好きでそれを突き詰めたいと思い、私立の高校、大学、それに加えて3回の海外経験(長期も短期も含めて)、全て文句言わずに受け入れてくれました。
やりたいことを全てさせてくれました。
途中で投げ出したものもめっちゃあるし(マジでごめんなさい)、英語の勉強もやめたいって何度も諦めの言葉を母に言ったことがありました(本当にごめんなさい)。
でも、最後まで支えてくれました。
それも、自分でやり遂げたんだぜって思っていた自分が今となってはイタいというか恥ずかしいという感情でいっぱいなのですが、
このまま気づけないまま今も過ごせてたら恐ろしいなぁなんて思います…。
でも、素直に母に感謝の気持ちを持つようになってから、関係性が少しずつ変わって、喧嘩も減ったし、前よりももっと素直にお話しできるようになった気がします。
人生を変えるほど力ある神様の言葉の力を身をもって体験した4年間でした。
笑った日も、泣いた日も、怒った日も、悪さをした日も、誰かに優しくなれた日も、感謝で溢れた日も、いろんな日があったけれども、どんな日でも変わらない愛をもって私のそばにいてくれた神様がいてくれたこと。
そんな4年間の日々が私にとっての今後の財産になるだろうなぁ。